2019.11.17
「同期のサクラ」が教えてくれた
組織の中で働き続けることの意味
プロデューサー 大平 太

人手不足が深刻化する現代日本。多くの企業が新卒の早期離職という課題を抱えているが、弊社が行っているチームワークを最大化させる体験型の新入社員研修には、クライアント様から「この研修を通して同期の絆を深めたい」という声が多数、寄せられている。
「女王の教室」や「家政婦のミタ」、そして「過保護のカホコ」と、脚本家・遊川和彦さんとともに数々のヒットドラマを生み出してきた大平太プロデューサーが新たに手掛けた「同期のサクラ」は、まさに「同期」をテーマにしたドラマだ。社会に潜む様々な問題に着目し、これまで見たことのないオリジナルドラマを作リ続けてきたプロデューサーは、なぜ今、「同期」をテーマにしたのか? どんな想いがあったのか? 撮影も佳境を迎える中、スタジオにお邪魔し、大平プロデューサーに話を聞いた。
「これから先、何のために働くのか?」と自分に問いかけたとき、働き続けられたのは同期のおかげだと気が付いた
毎回、ドラマのテーマは今、一番自分が興味を持っていることにしています。僕は自分の身の回りにあることからしかドラマを作れないので、「女王の教室」は娘の学校の授業参観で衝撃を受けたことがきっかけになっていますし、「家政婦のミタ」は「家族とはなにか」と悩んでいたので、ホームドラマをやることになりました。「○○妻」に至っては、これから結婚しようと考えている脚本家と、夫婦のあり方を模索していたプロデューサーから生まれた作品なんです(笑)。
今回も同じで、僕が新卒で入った日テレの勤続30年を目前にして「これから先、何のために働くのか?」という疑問にぶつかって、遊川さんに仕事をテーマにしたドラマをやりたいと話したのがはじまりです。今までは生活や家族のため、ドラマが作りたいという強い想いがありましたが、そろそろサラリーマンとしてのゴールが見えてきた。もちろん仕事は楽しいし、好きだけれども、組織の中で働き続ける意味がわからなくなってしまったんです。
それで、最初は忖度できない主人公と超忖度男がぶつかりながら恋をして、成長していくラブストーリーを考えたのですが、それでは仕事ドラマとして弱い。そこで遊川さんから「自分には同期がいないが、同期というのはどうか?」と提案してもらい、同期5人の物語にすることになりました。振り返ってみると僕自身、これまで働き続けられたのは同期のおかげだったんです。苦しいときもみんなのがんばりに勇気づけられたし、体調を崩してしまったときには本当にたくさん助けてもらいました。そういう同期のことを思い浮かべながら、ドラマを作ることにしたんです。
社内外の取材で出会ったのは、働く人々が経験したおもしろいエピソード
エピソード作りは、僕と遊川さんの経験はもちろん、会社の同期にもたくさん話を聞きました。メールで「会社あるある」や「同期あるある」があれば送ってと頼んだら、思った以上に返事が来て、それを元にして作ったエピソードも多々あります。特に新入社員時代のことは、研修のことや同期同士の距離感、同期内での恋愛もあったな、などと忘れてしまっていたことも多かったです。
あとは、僕も遊川さんもドラマの制作ばかりをやってきたので、会社組織やドラマの舞台となるゼネコン(建設会社)のこととなるとまったくわからない。そこで人事部はどんなことをするのかなど社内の取材からはじめて、大学の同級生を頼って大手ゼネコンにも取材をさせてもらい、おもしろいと思ったことを遊川さんに本にしてもらいました。
例えば、1話にあったサクラたちが新入社員研修で橋の模型を作るエピソードは、実際に取材先のゼネコンで聞いた「新人研修で本物の橋を作った」という話から生まれています。2話で菊夫くんが上司からゴルフに誘われ、クラブは使ってないのをやるから、免許を取って車を買えと言われるシーンがありますが、あれは僕の実体験です(笑)。ちなみに、サクラが忖度できないときに「すぅー」と息を吸うアクションは、監督のクセをそのまま採用しているんです。
「自分がいるから変わることもある」。答えは歩き出したサクラと同期たちが教えてくれる
入社からの10年間を1話1年で見せることにしたのは、大きな変化を描くのにちょうどいいと思ったからです。2年や5年で起こる小さな変化では足りない。10年経てば結婚して退社する人がいたり、出世して役職が付く人がいたりする。逆に出社拒否になる人もいて、同期に差が生まれてくると考えました。
それで思い切って10年後の彼らからはじまって、「そういえば俺たちの10年前っていうのはああだったよね」と、毎話、振り返る形にしたんです。いざ放送してみたら、この構成に対して社会人の方々から予想以上の反響がありました。「働き始めた頃のことを思い出してグッと来た」とか「初心に戻ろうと思った」という声をいただいたので、僕と同じように見ている方がサクラたち同期の姿に自分を重ねてくれて、なにかが心に届いているのかなと。これは計算したわけではないので、本当に嬉しい誤算でした。
働くことは大変だし、責任も重い。楽しいこともあるけれど、嫌なこともたくさんある。でも、サクラというキャラクターをゼロから作って、今、歩き出したサクラを見ていると、人間には働くことからもらうエネルギーというのがあって、「働くこと=生きること」でもあると実感しています。お金のためではなく、仕事をしていると人から必要とされたり、人を必要としたりする。もちろん自分がいなくても会社は回っていきますが、サクラを見ていると、「自分がいるから変わることもあるのかもしれない」というのを感じることができるんです。
ドラマにも登場する「仲間」という言葉に込めた想い
本作の制作チームは、「過保護のカホコ」と同じチームです。遊川さんとは一緒に仕事をさせてもらうようになって今年で19年目になるのですが、最初に「馴れ合いにならないようにしよう」という話をし、スタッフ全員にも、テーマを持ってやろう、1つでもいいから新しいことをやっていこうと話しました。だから僕も遊川さんも、カホコのときよりもスタッフに厳しい。また同じチームで和気藹々とやりましょうというのではなく、そうやっていかないとどうしても楽な方へと流れて行ってしまうんです。
遊川さんは脚本を書いて、撮影現場に来て、とすべてをドラマに捧げている人。今作でも、毎話、新たなサクラを見つけようというカセを自らに課していて、実際にサクラは回が進むごとに、方言で怒ってみたり、敬語からタメ口になったりします。制作チームは120名ほどの大所帯なので同じ方向を向くのは大変ですが、遊川さんという船長がいるから、その背中さえ見ていれば大丈夫という想いが皆にあると思います。
サクラのセリフにはよく「仲間」という言葉が登場しますが、実は僕はずっとドラマの制作チームを「仲間」と呼んでいるんです。遊川さんにはいつも「嘘くさい」と言われていたのですが、今回、遊川さんの書いた脚本に「仲間」という言葉が使われていたので、遊川さんも僕たちを「仲間」と思ってくれているんじゃないかな、と勝手にうれしく思っています。
サクラが夢を語るセリフには、「一生信じ合える仲間をつくること、その仲間とたくさんの人を幸せにする建物をつくること」とあります。制作スタッフはチームであり、仲間である。本作を通じて、今、改めてそのことを実感しています。

大平 太
1990年、日本テレビ入社。1年目からドラマ班に配属。アシスタントディレクターを経て、「家なき子」でディレクターデビュー。
2000年、「平成夫婦茶碗」で初プロデュースの時、遊川和彦氏と初タッグ。
以来「女王の教室」「家政婦のミタ」など、氏との作品は、本作で13作目に当たる。