2020.09.25
【研修動画】日本史上稀に見る優れた組織をつくった男「徳川家康」を解説1/管理職・経営層向け

===企業経営者、人事担当者の皆様へ===
日テレHRが提供する企業研修に用いる「テーマ別動画」を公開しています。日テレHRでは、研修対象者にまず個人で動画視聴いただき、レポート提出を求めます。人材コンサルタントや実績豊富な講師が、全てのレポートを1枚1枚、チェックしコメントをつけてフィードバックすることにより、受講者一人ひとりの理解度を明確に分析し、成長への助言をするとともに、経営者様、人事担当者様には、適切な開発・育成プランをご提案いたします。
※研修対象者は、数名から数百名まで対応可能です。実施例も数多くありますので、詳細についてはお問い合わせください。
動画のタイトル
日本史上、稀に見る優れた組織をつくった男 徳川家康 ①
研修動画のテーマ
江戸幕府という日本史上、稀に見る優れた組織をつくった男・徳川家康シリーズの第1回。若き日の家康(竹千代)から桶狭間の戦い、そして敗走から後の究極の判断を取り上げる。 急速に成長するベンチャー経営者・信長、また稀有な立身出世の権化・秀吉が、共に『スローガン経営』型であったのに対し、家康は『ミッション経営』型の人物。今川家の配下にあった岡崎の豪族から天下人となるまで、彼を支えたのは、O O D A思考における土台=抜群で粘り強い、脅威的な『観察力』であった。<“観察”の鬼>家康がとった行動を解説する。
内容
岡崎の豪族の家に生を受けた家康は、祖父も父も家臣に殺害されるという“マイナス”からのスタート。家康の「ミッション」は、家の繁栄、そして家臣団を守り、岡崎一帯の支配権を守ることであった。時は戦国。今川家の配下として出陣した家康は、かの桶狭間でまさかの事態に遭遇する。老舗大企業・今川が、新興ベンチャー・織田に敗北したのである。統制の取れたP D C A組織であった今川軍は、P(計画)を発する義元の死によって、織田の10倍ほどの戦力を擁しながらも、散り散りに敗走。その中に家康の姿もあった。岡崎の側まで逃げ延びた家康は、しかし、目の前の「岡崎城」に入ろうとしなかった。なぜか?
この時、家康が何をどのように観察し、仮説を立てていたのか、O O D Aをベースに解説する。自らのミッションからブレることなく、時事刻々と変化する状況を命がけで観察しながら、家康がとった行動とは?
研修対象者(推奨)
管理職・経営層
研修受講者が得られる力
・O O D A思考における「観察」の重要性を知る。
・自社や自組織におけるミッションやスローガンを念頭に、粘り強く観察すべきことは何かを思考する。
動画視聴後のレポート出題例
●みなさんの業務の中で、「時間をかけて行うべき観察・仮説」は何(について)だと考えますか。
人事ご担当の方へ
レポートの出題の狙い等、詳細はお問い合わせください。ご説明いたします。また、レポートのチェック・コメントバック、受講者の思考特性診断サービスをご体験いただけます。ご希望の方はお気軽にご問い合わせください。